ろじかりずむ

好きなんだから仕方ない

加藤成亮はもう居ない

そして、「ピンクとグレー」の世界は終幕した。

※この記事は加藤シゲアキ著「ピンクとグレー」及び、12月12日発売「野性時代 1月号」に掲載されている同著「だいじなもの」の感想及びネタバレを含みます。未読の方は注意してください。
また、色々好き勝手語ってるのでそういうのが苦手な方はブラウザバックお願い致します。(まだ担歴が浅いのですが、思ったことを徒然と綴ってみましたので「新規死ね!」といった考えをお持ちの方は更にご注意を)


この作品は本編主人公「河田大貴」「鈴木真吾」の幼馴染「木本」の視点で語られます。
「木本」は「白木蓮吾」の幼馴染であることを何より誇りとし自慢とし「自身」より「白木蓮吾の幼馴染」であることにしがみついて生きていて、彼の死後は「河鳥大の幼馴染」であることをアイデンティティとして生きる、そんな哀しい男です。
そんな彼は、白木蓮吾の死、「ピンクとグレー」出版によって、そして「ピンクとグレー」映画化によって自分は物語の「傍観者」である、ということに気づきます。


最初、今回のスピンオフの主人公が「木本」くんだと聞いて私はとても嬉しく感じました。「もしスピンオフをやるなら、木本くん視線がいいなぁ」とぼんやり思っていたからです。

木本くん、主要登場人物3人と同じ団地に住まい「スタンド・バイ・ミー」とまで形容され、仲睦まじくそれはそれは美しい少年時代を重ねた彼ですが、小学4年生の冬、転校したっきり不自然なまでに彼の名は「ピンクとグレー」という作品から、河田大貴の記憶からパッタリと消えて無くなります。
年を重ねても交流がある3人、何の音沙汰も無い木本くん。
親しみやすい愛称がある3人、1人だけ名字で呼ばれる木本くん。
そもそも木本くん、作中で下の名前すら明かされなかった気がします。
映画化の折にもやけに「ごっち・りばちゃん・サリーの三角関係!」*1みたいな宣伝のされ方を見て「木本くん出るかな」「ここまで来たら絶対忘れられてるよ」「木本ェ....」「木本は犠牲になったのだ」なんて会話を友人と交わしたのも記憶に新しいです。本当に出てなかったらどうしよう......木本出るよね........?*2
そんな少し不憫な扱いを受けている木本くん。
幼馴染とはいえ、転校したらここまで交流が無くなるものか、と読みながらとても寂しくなったのを覚えています。まるで「お前はモブだ」「所詮モブキャラ」と烙印を押されているみたいで。確かに脇役ではあるけれど、物語の主線に関わるのは不自然で彼の入る隙は無いけれど、何故だか私はとても寂しくなったのです。


そんな木本くんに視点を当てた今作を読んで、彼の空気っぷりや干されっぷりはもしかしたら作者の意図するところで、今作まで彼を隠していたのかなぁ、と感じました。もちろん、加藤シゲアキさんの中で私のような寂しさを感じて責任感に苛まれて木本くんを主役に携えたのかもしれませんし、他にスピンオフを任せられるほどキャラが立った登場人物がいなかった、ただそれだけの話かもしれません。そもそもスピンオフを書けるまでこの作品が愛されスピンオフを依頼される契機となる「映画化」なんてきっと「ピンクとグレー」を執筆していた当時の加藤さんは考えてもみなかったでしょう。
それでも、私には「意図的に隠されていた」ように感じました。


そして、この「木本」は「加藤シゲアキ」自身だと感じました。


「ピンクとグレー」についてよく「ごっちは⚪︎⚪︎でりばちゃんは⚪︎⚪︎だ」と実在する人物の名をあげて語られているのを見ます。映画化の際にも「裕翔だったら、××くんとがよかった!」だったり「ピンクとグレーは△△くんと▼▼くんだと思ってた!」だなんて意見もよく拝見しました。きっと、全部が正解で全部が間違っているのだと思います。どのアイドルもみな「ごっち」であり「りばちゃん」であり、そしてどちらでも無いのです。アイドルという概念を考えるにおいて全てのアイドルが少なからず「ごっち」「りばちゃん」両方の側面を持ち合わせてはいますが、完全に「ごっち」である人間も完全に「りばちゃん」である人間もこの世のどこにも存在し得ないのです。


私は、「この2人は両方とも加藤成亮だ」と思っていました。
彼の意図とは遠く離れてもっと大きい大人の力で右も左もわからないままあれよあれよと囃し立てられ思いの外上手く行ってしまったJr時代。デビューで初めて知る挫折、悔しさ、悲しさ、絶望。自分のフィールドを見つけて輝く他メンバーに置いていかれたような寂寥感と焦燥感と自分の不甲斐なさでどこか自虐的であったり捻くれた発言が多かった6人時代。周りには見せないように必死にキラキラしたアイドルを演じていること。「仕事をください」と事務所に直談判したら「お前に何が出来る?」と問い返され何も答えることができなかった計り知れない悔しさ。去りゆくメンバーをどうしても繋ぎ止めたくて、死に物狂いで身を削りながら書き上げた「小説」。


アイドル「加藤成亮」さんは「ごっち」「りばちゃん」両方の痛みを持った人です。作者だから当たり前、かもしれません。それでも「ごっち」と「りばちゃん」は「加藤成亮」のすべてを、痛みを、悲しみを、そして希望を詰め込んで生まれた2人は、「加藤成亮」自身なのです。


そして、「加藤成亮」は「ピンクとグレー」という作品を書き終えたことで「加藤成亮」を殺し、「加藤シゲアキ」を生み出したのです。
少し傲慢で、自分に自信がなくて自虐的で、自らの道を模索していた「成亮」は小説という武器を手に入れたことで、根っこの部分は変わらないけれど、自分へも周りにも謙虚な気持ちを抱き、自分に自身を持ち、芯がしっかりとした「シゲアキ」へと生まれ変わりました。


勿論、人間そんなにすぐには変わることは出来ないのですが、今回の「だいじなもの」を読んで「ああ、アイドル・加藤成亮はもういないのだ」と改めて強く感じました。


悩んで足掻いて命を削って先の見えない不安に苦しみながら「ピンクとグレー」を書いた「加藤成亮」はもういない。「加藤シゲアキ」という「なんでカタカナなの?」なんて言われがちなちょっとかっこつけた芸名が、ペンネームが似合う人に貴方はなった。
いわばこの作品は「ピンクとグレー」からの、そして「加藤成亮」からの「卒業式」のようであると思います。


アイドル・加藤成亮はもう居なくなってしまった。「俺のうちわ持ってる人はみんな同情」と言ってのける加藤成亮はもう居ない。錦戸亮さんに「今も頑張ってるけど、もっと頑張れよ」と言われて嬉しさやら抱えきれない気持ちやらやりきれなさで泣く加藤成亮はもう居ない。単なる偶然ではあるが、名の通り「亮に成る」ように錦戸「亮」さんの背中を追い、4人になってからは彼の役割を担おうとした(ように見える)、彼はもう1人のアイドルとして、確立し、「亮」には成らず、「シゲアキ」としての自分を作り上げた。何かの雑誌で錦戸さんが加藤さんへ「名前のカタカナ、かっこいいね!」とメッセージを送っていたのもきっと、カタカナとして生まれ変わった彼の姿を見て、ようやく「個」を確立し自分に自信を持った彼を見ての賞賛なのだと思います。


そして、「ピンクとグレー」という作品はこのスピンオフを持って完結したように思いました。きっともう「ピンクとグレー」の世界はこれ以上語られることも描かれることも無いのでしょう。「ピンクとグレー」当事者だった「ごっち」であり「りばちゃん」である「加藤成亮」は、「ピンクとグレー」世界の傍観者である「木本」であり、「加藤シゲアキ」になりました。
加藤シゲアキ」はもう「ピンクとグレー」の世界に生きなくても、ちゃんと現実で生きる世界に自分を見つけました。「木本」と同様に自分を見失っていた彼は「僕がいるのはここだ。ちゃんとここにいる。」と胸を張って言えます。


2015年、「ピンクとグレー」映画化の一報から年が明け、初の短編集を出版して、彼を取り巻く世界は明らかに変わりました。彼自身は、もちろん、根っこの部分はそのままだけれど、今まで以上に自分にちゃんと自身を持って自分を大切にしているように見えました。映画化によってまるで自分自身のような処女作が生まれ変わることに対する怯え、葛藤、そして映画化によって「自分のものではない何か」に昇華されたことによって、書き上げた頃の苦しみや痛みに固執していた自分も昇華したようにこの作品を読んで感じました。


加藤成亮」の消失と「加藤シゲアキ」の誕生はとても寂しいことだけど、それと同時に、ちょっとだけ嬉しいと私は感じました。"嬉しい"って言葉はあまり今の気持ちを形容するにはそぐわないけど、この瞬間に立ち会えていることや、彼の中でちゃんと"完結"させて、物語をちゃんとした形で締めくくってくれたことは一読者として、作品の一ファンとして、そしてアイドルとしての彼を応援する1人として、とても嬉しいです。


あの頃の加藤成亮はもう居ない。けれど加藤シゲアキは前だけを向いて、道無き道を切り開くことが出来る。


ならば、私はただそれに黙って付いて行くまでなのです。

小説 野性時代 第146号 (KADOKAWA文芸MOOK 148)

小説 野性時代 第146号 (KADOKAWA文芸MOOK 148)

ピンクとグレー

ピンクとグレー

12/12:追記
もちろん「加藤成亮」だった頃の彼を批判したいわけじゃなくて、あくまで概念的な話で「成亮」と「シゲアキ」を用いています。その辺不快にさせたら大変申し訳ございません。成亮もシゲアキも"いい奴"(いい奴っていう形容が本当によく似合う方だと思います)だなんてこと私も痛いほど存じ上げております(笑)

12/13:更に追記(というか本当に本当に蛇足なので読まなくていいです)
12/11のジャニーズウェブの件は、ヲタ間で実に発言が何かと話題になりやすい成亮的である、というか自分のテリトリーじゃないところに首突っ込んで賛否両論浴びているのは実に彼らしいなぁ、と思いました。
ただ、こういうことをする時の彼にしては言葉が直接的だったり攻撃的じゃなくて、「ああ、もう成亮はいないのだなぁ」なんて考えたり。
言葉選びが一つ一つ丁寧で、誰も傷つけないように、ただ思いは確実に伝えられるように。
そんなこと言わなくたっていいのにね、きっと放っておけなかったのだと思います。
そして、成亮もシゲアキもどこまでも純粋で愚直で、人を信じる、という才能が桁外れに強くて、だからこそのあの文章なのだと思います。
だからどうか、該当担の皆様は「踏み荒らされた」とか「余計なこと言わないで!」だなんてお思いの方もきっといらっしゃるでしょうが、どうか怒らないであげて欲しいのです。

*1:原作はそんな話では無いので、「また安い恋愛映画にするのか!」なんて憤慨した思い出。 しかし今は映画は映画、小説は小説、と割り切っています

*2:0109追記:木本は犠牲になったのだ....