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ろじかりずむ

好きなんだから仕方ない

ときめきに死す

お題「初めて○○のコンサートに行った日」

 

Everybody前進の時、9年前のtimeコンサートの映像が流れた。私が見た映像は厳密にはドームの時の物だから本当は違うんだけど。人生で一番入りたかったコンサート。今まで生きてきた中で一番恋い焦がれて憧れて私もあの空間に行きたいと夢見たコンサートをまるで9年越しに体感しているようで。

9年前のアリーナを体験していない私はあのツアーに申し込んでいいのか、私なんかよりもっとふさわしい人がいっぱいいるんじゃないかってずっとモヤモヤしててコンサートに行くこと自体は楽しみだったけれど"当選"の2文字を見てからずっと負い目に感じていた。現に大好きなフォロワーさんが、当時からずっと嵐を応援してて今もなお嵐担で、姉妹のように気があう(と私は思ってる)人だって外れてるし、デビュー当時から応援してるのに!って声もいっぱい見かけた。

それでも、あの空間を体感してみて、後悔なんて何ひとつない。今の私が、今の彼らを見ることができてよかった。私が好きになった時の、私が生涯で一番会いたいと願った時の彼らはずっと変わらずそこで笑い続けていたのだから。

12年前の「TOPになるって夢絶対叶えようね」を有言実行し続ける彼らだから、そりゃ9年前より演出も大規模だしオーラなんかも段違いなんだけど、煌めきはtimeの時からずっと変わってなくて、翔さんなんかはまるで別人なんだけど、それでも私が好きになった時の翔さんがそこに居て泣いた。

2度と会えないと思ってた。私の世界を一転させてしまうくらい世界一カッコいい2007年の櫻井翔はどこにも存在しないんだけど、2016年のすっかり丸くなって(身体がじゃないよ!心がね!いつだってかっこいいんだから!浮腫んでるって言ったヤツ、後で校舎裏!)どこぞの社長ですかなんて落ち着きと格を持ち合わせた翔さんが歌うたび踊るたび話すたびにチラチラとあの時の翔さんが顔を出して、この人は変わってないしずっとずっと私が好きになった時の櫻井翔なんだって、感動の再会のような心地になって、「会いたかったよ!」ってぶんぶんと腕を振り続けた。今の嵐にも会いたかったんだけど、それ以上に会いたかったあの人がそこに居たって感じ?自分でもよくわかんないけど、とにかく嬉しかったんだ。それだけだ。理由なんてきっといらない。きっとあの瞬間の私だって今の私じゃなくて、「櫻井翔」という王子様を見つけてセトリやMCはもちろん、コンサート中の一挙一動まで覚えてしまうくらい繰り返しtimeを見て、櫻井翔に逢える日を夢見た私だったのだから。

夢に見た景色がそこにあった。距離の近さの問題というより、ああ、嵐はいつだってずっと嵐だという再認識。

どんなに国民的と持ち上げられようと、別の国民的アイドルのファンの人に所詮ぽっと出とかゴリ押しとか言われて好きで国民的なんてダッセー嵐やってるんじゃないよなんてヲタクが怒ろうと、ずっと変わらず直向きに全力の人達なんだって久々にガツンと叩き込まれたようなそんな気分。

いつだって私は「嵐が遠くなった」なんていうヲタクに抗ってるんだけどね、それでちょっとだけ寂しかったのは嘘じゃなくて、遠さだったり変わってしまうことに対する諦めに近い感情はいつもどこかにあって。それをぐるっと覆してくれるようなコンサートだった。

顔認証だの入る人数が少なすぎだの色々言われたコンサートだったけど、この公演にはちゃんと意味があったと思ってるよ。だからこそ、私よりもっと昔から応援してくれてる多くの人にこれを見せたかったっていう気持ちもそりゃあるんだけど、円盤でもきっと伝わるはずの凄まじい熱量と良演出だったから円盤はよって感じかなあ。っていうか、嵐を知らないような「嵐は別格」とか言って知ろうともしない他G担に見せたかったぞ!嵐は別にお高くとまってないし凄いんだよかっこいいんだよって見せたかった!わかっちゃいるけど動員数のバカ!せめて自FCの会員数充たすぐらいのライブビューイングしてくれよ!

 長野Mウェーブでtime亡霊の私は無事成仏できたのだと思う。ありがとね、最速で奪い取る大卒アイドルさん。That's right!君が正真正銘の櫻井翔だ、なんつって。

 

そして、アリーナツアーを経てしばらく懐古亡霊とも言った具合にぽけっと嵐のことを考える時間があったんだけど、その時に初めて嵐のコンサートに行った時のことを思い出した。今回みたいな疑似体験*1では無くて本当に初めて嵐を、櫻井翔を見た時の話。

 

あれは確か夏の終わり。

初めての5大ドームツアーにはFCが間に合わなくて、国立のコンサートは何故か2年連続で外れて。嵐は実在しないんじゃないか?なんて疑ってた私。気が遠くなるくらい電話をかけ続けて、やっと繋がった時に耳に入った「第一希望での当選です」嘘かと思った。放心状態で全部聴き終えたあと、嘘だ!って掛け直したらナビダイアルのお姉さんはしばらく電話に出てくれなくて、再び心が折れかけた。それでも馬鹿な私は根気強くかけ続けて、3回目の電話でようやく現実だと認識した。どうやら私は嵐に会えるらしい。

 

そこからはもう毎日が夢心地で。どんなに嫌なことがあっても、理不尽な目にあっても「お前は嵐に会えないだろうけど私は嵐に会えるんだぞ」って謎の優越感でやり過ごすことが出来た。訳のわからないくらいポジティブ変換。我ながら羨ましい。どういう思考回路してるんだお前。

 

赤なんて似合わないし、正直黒だの茶色ばかりを着たがる可愛くない子供だったわけだが、どういうわけだか赤いスカートを買った。

スカートなんて見えないのに!担当カラーアピールするなら上半身なのに!

それも、どこで探してくるんだってくらいダサい赤だった気がするけれど、その瞬間の私は世界で一番輝いてるような心地さえした。私は無敵だ、そんな気がする。赤を着ると自信を持てる気がするのはきっとその頃からの名残なのかもしれない。色のイメージ以上に「櫻井翔」の赤だ、そりゃ最強に決まってるだろう。

 

また、昔からびっくりするくらい不器用なのだけれど、がたがたになりながらもうちわを作った。今覚えば三塁側スタンド上段端っこっていう席的にあっちから見るのがわりと不可能な席だったんだけど、それでもうちわを持つことでジャニーズのファンの仲間入りをした気分がして、少しこそばゆかった。以来、どんなにクソ席でもたとえ使い回しでもなるべく自作うちわを持つようにしている。ファンサービスが欲しいんじゃなくて「自分はこの人のファンである」という単なる自己満足だ。*2閑話休題

 

前置きが長くなりすぎたが、2009年12月5日「ARASHI Anniversary Tour 5×10」東京ドーム。これが私の「初めて嵐のコンサートに行った日」だ。

確か雨の日だった。開演前の東京ドームの外は非常に寒かったのを覚えている。

グッズ列は馬鹿みたいに長いし、開演前にグッズ列の近くを通ったら「今からだと開演に間に合いません!」とか言ってて効率悪すぎかよとか思ってたけど、待ち時間の問題については2016年現在も解決されてないよ!残念だったな私!

そういやあの頃東京ドームの周りにはイッピ袋*3を持ってる人がいっぱいいて「かっこいい!私も次のツアーではああいうの作る!」って感化されかけたんだけど、今、イッピ袋持ってるヲタクめっきり見かけませんね。どこに行ったんでしょうか。

ONEやtimeやaroundasiaといった過去ツアーのカバンで歩くヲタクがとにかく眩しくてかっこよく見えた。 

 ついつい話がそれがちだけどこういう思い出含めて初めてのコンサートだと思う。コンサート本筋より不思議と周りの情景だったり出来事を覚えてるものだ。覚えなくていいことばかり強く記憶に残し続けて私は大人に近づいていく気がする。

 

初めての東京ドームはどこかもわっと暑くて、外の冷気は嘘のようだった。可愛らしいステージやモニターに映る嵐を見てもまだ夢のようで*4ただぼーっと眺めたのを覚えている。

 

午後6時が近づくにつれて、あらし!あらし!のコールが徐々に広がって会場全体が一つになる。あ、これDVDで見たやつだ。私もあの嵐コールの一部になれる。それがとても嬉しくて、今まで出したことの無いくらい大きな声で嵐を呼んだ。やっと、実感が湧いた。

 

突然、照明が落とされる。きゃあ!という悲鳴がドーム中に木霊する。

「Smile again,ありがとう」

スローなアカペラにうっとりとするもつかの間、天井部がパッと明るくなる。明かりの中心にはもちろん嵐がいて、真っ白い王子様のような衣装を纏ってひらひらと宙を舞った。

嵐のコンサートだから嵐が出てくるのは当たり前なんだけど、それでもやっぱり現実味がなくて、あ、やっぱり夢かな、ってぼーっと眺めていたら、興奮した隣の友人からバンバン叩かれる肩が痛くて「現実なんだ」と認識して、ぎゅっと胸が熱くなった。

今、私、嵐と同じ空間にいるんだ。

くるくるひらひらと宙を舞う嵐は「実は人間じゃなくて神の使いなんだ」 と言われても信じ込めるくらい美しいことだけは遠くからでもわかった。

御村くん、否、櫻井翔。世界中の煌めきを独り占めする私の王子様。ああ、やっと会えたね。距離こそ遠かったもののきらきらをいつもより近くで、生で感じて、私は世界一の幸せものだと思った。

 

実を言うとそこから先の記憶があまり鮮明ではない。なんせ7年前、覚えてろっていう方が無理があると思う。局所局所でここ楽しかったなぁ、幸せだったなぁっていう瞬間はいっぱいあるんだけど、憶測も交えて言葉としてまとめちゃうのもなんか違う気がするし、あの頃の私のためにも今は話さないでおこうと思う。言葉にはできないなにか、ってきっと、いや絶対あると思うのだ。

コンサート後に楽しかったこと、嵐に会えて嬉しかったことをいっぱいいっぱい書いた手紙を櫻井翔、その人に送った。ファンレターなんてきっと捨てるほど来るだろうしあの人はいつだって多忙な人だから読んだか読んでないかでいうときっと読んでないだろうけど、あの頃の私の新鮮なときめきは翔さんと私、2人だけの秘密。なんだかこれもロマンチックじゃない?

 

長々と書いておいてまとまらなくて、大変申し訳ないのだが、初めて飛行する嵐を見た瞬間のときめきはきっとこの先一生感じることが出来ないほど最大級のものだった。そりゃ久々の嵐であるLOVEの東京ドームで本人が出てくる前の映像で泣いたり、初めてのNEWSコンで「かとうさんいきてるううううう;;;;;;;;;かおちいさいい;;;;;;;;;;;;」と取り乱したという苦い思い出もあるのだが、そういうんじゃなくてもっと純粋な「嵐に会えて嬉しい」というただ一筋の不純物の無いときめきはもうこの先手に入れることは出来ないだろう。

あの頃の私が羨ましい。今どんなに切望しても体感できない感覚だ。だからこそ、このときめきをずっと引きずって、たとえ一番じゃなくなろうと櫻井翔を追うことはやめられないのかもしれない。

あの頃のときめきに雁字搦めになっているのか?否違う、毎日のように更新されるときめきに知らず知らずのうちに窒息死しそうなくらい溺れているのだ。王子様のような姿で現れた彼らのときめきパウダーはきっとあの時だけじゃなくて今も発されていて私はそこに惹きつけられずにいられないのかも、なんてね。2007年の翔さんも翔さんも2009年の翔さんも2016年の翔さんもいつだってずっと王子様だ。いつだって私の希望で、私の道を照らす灯台だ。

ああ、貴方が幸せでありますように。一番にはもうなれない、一番に貴方を置かなくても大丈夫なんて残酷な実感をしてしまった私からのせめてもの償いであり、心からの願いだ。

私にときめきを、幸福を教えてくれた貴方は、どうかいつまでも幸福であってほしい、と願ってしまう。これも一種のエゴなのだろうけれど。

どうか貴方がずっと笑顔でいられますように!

 

なんか、照れるね。

*1:懐古厨の私として亡霊が間接的に参加した気分になるとかそういうの

*2:そもそも櫻井翔という男は特定の個人に向けたファンサービスをしないと公言している。こういうきっぱりしたところが好きだった

*3:紙袋に担当の写真をベタベタ貼り付けたやつ

*4:そういえば、嵐以外のグループって開演前にモニターにCM映らないんですね!去年のNEWSはともかくKAT-TUNもなくて、無いのがスタンダードだと2016年になってやっと知ったヲタク驚きました!