ろじかりずむ

好きなんだから仕方ない

雑感

※NEWSLIVETOUR2017「NEVERLAND」一部演出バレを含みますがNEWSの話ではありません。


想像もつかないような衝撃を受けた時、人間は本当にマンガのように膝から崩れ落ちる、なんて知りたくなかった。

その日はまりあちゃんの凱旋公演すら犠牲にするくらい大切で大好きなアイドルのコンサートに参加する為に静岡にいた。席は一番後ろだったし、前列に少し迷惑行為を働く人間*1に少し気分が滅入ったりしたけど、すごくすごく幸福で楽しい気持ちで、友人と連絡を取る為に何気なく開いたTwitterアプリで真っ先に目に入ってきたのが「工藤遥 卒業」という文字列だった。

すごくすごく楽しみにしていたコンサートだったのに、一瞬で全部がぱぁんと弾け飛んで、その後、共に夕食を食べる為に現れた友人に発した第一声は「工藤遥ちゃんが、」だった、ような、そんな記憶がある。
未だに夢を見ているみたいだ。

彼女は別段、推しというわけではない。
それどころか私は推しが好きすぎるがあまりに単推し、いわゆるオンリー担*2のようなスタンスであろう、と自らの中で認識していたくらい、モーニングの現場ではまりあちゃんのことしか見ていないし、申し訳ないがまりあちゃん以外のメンバーの個人仕事に関しては一切把握していなかった。

「誰が卒業してもまりあちゃんじゃなければ悲しくはなるけど、そんなには取り乱したり、辛くなることはないだろう」

ドライすぎる、という自覚もある。ただ、本当にこの感情が当てはまるくらい、卒業制度に関して冷静な自分がいる、と思っていた。だって、アイドルには卒業が付き物であるし、卒業してもなおみんな芸能界に残ったり元気な姿をSNSで更新してくれるではないか。
これはとても醜い感情であるが、実力と実績があって歌割りが多い上の期が美しく羽ばたいた後の私の推しである12期、13期の歌割りがどう増えるかなんて想像をすることもしばしあった。まりあちゃん、センターかな、とか。

思っていた、過去形である。
工藤遥モーニング娘。現エース。
私がまりあちゃんを好きになってから初めてのメンバーの卒業(かのんちゃん卒コンLVには行ったけれど、こうして現場に行ったりCDを買うようになってからは初めてだ)エースという功績を差し引いても、彼女についての思い入れが、ドバドバと洪水のように溢れてきて、「卒業」の二文字は想像以上に受け入れ難かった。
13期の教育係はどうするんだろう、まーちゃんはどぅーが居なくて大丈夫なのかな、大丈夫だと思うけどまーちゃんがセンターでどぅーがリーダーのモーニング娘。が天下を取るのを見たかった。家族のように仲がいい10期、そして11期小田さくらちゃんから最初に旅立つのがまさか最年少の工藤遥だなんて。
だって、まだ17歳である。まだまだこれからだと思ってた。17歳のハルちゃんが卒業を決断するのならば、この冬16歳になったまりあちゃんのその日は近いのだろうか、嫌だ。怖い。嫌だ。嫌だ。悲しい。怖い。
ハルちゃんのことが大大大好きな12期の4人を時に厳しくも優しく可愛がってくれる工藤遥ちゃんにはもう会えないのか、とか。「映画主演!モーニング娘。現役メンバー工藤遥!」じゃダメなの、とか。

勿論全てエゴである。エゴであり、この感情を主張することは「女優になりたい」「本気で女優業に専念する為に中途半端なことをしたくない」という彼女の意思に反することは分かっている、わかっているんだけど、はいはい、そーですか、私は諸手振って応援するよ!なんてすぐに受け入れられるほどは大人じゃなかったし、それほどまでにまりあちゃん以外の「モーニング娘。」というグループ自体が、13人全員が好きになっていたのだ、とこんな時に初めて痛感してしまった。


次の日も静岡でコンサートであった。
ただ、その日にモーニング娘。が名古屋でコンサートする、と知っていたので、こんなに近いのなら、どうしてもそちらに行かなくてはいけないのではないか、工藤遥を極限まで見なくてはいけないのではないか、誰がいつ卒業するかわからない、なんてそうしたらその日はまりあちゃんの最後の凱旋になる可能性だって捨てきれないのではないかなぞとと錯乱して、悲しくて、電車の中で泣いてしまった私は側から見たら不審者であっただろう。

結局、私はそのまま静岡に残って、一旦全てを忘れてNEWSのコンサートを全力で見届け楽しんだ。


その中で披露される「あやめ」という楽曲がある。

敬愛する加藤シゲアキさんのソロ曲で作詞作曲演出全て加藤シゲアキ。シゲワールド全開!で「多様性」だったり「壮大な愛」をテーマにした楽曲だ。

コンテンポラリーダンス、と呼ばれるジャンルのダンスで全身全霊、鬼気迫る表情でステージの中心で舞い踊る彼を見ると不思議と「ああ、この人はすごいなあ」だとかその芸術性に感動して、涙が溢れる。
愛の美しさとか、それを伝えようとする彼の姿が一つの芸術作品であり、長いクレーンの上へ駆け上り、旗を掲げ歌う様は照明も併せてさながらジャンヌダルク的であり、神々しさを感じる。
特に好きなのはポエトリーリーディング部分の「こんなもんいらねぇ 飛んでやらあ」と叫んでひらりくるりと飛ぶ時の「決意」を込めた表情だ。

あの演出を初めて見た時、「神への昇華」である、と感じた。

「決して空想 夢想の彼方 今だけはそばにいて」
「あなた」を失うことを怖れ、「紙で切れた指先のよう"痛み"」に苦悩した青年が 奇跡なんかよりも強い「決意」を胸に、光の橋を渡っていく。

cause i need u cause i love u
knock knock open the door
never give up, beautiful world
makin' a good thing better

世界は 心の奥底にある
だから僕は生きていく
虹を歩いてく

"愛"を知り、"決意"を胸に虹の弧の上で星の光のように周りを取り囲む大勢の民衆に向かって"伝えよう"と叫び続ける姿は本当に神様みたいにきらきらしている。

工藤遥卒業を知ってから、改めてゆっくりと演出を見る。
それはまるで「決意の曲」、そしてアイドルと卒業の関係図のように見えて勝手に重ねて勝手に泣いた。


生まれたままの姿で横たわる主人公は、周りに同じようにひらひらとしたダンサーに囲まれ踊りだす。
苦悩、悲しみ、このままでいいのか、本当の自分はどこにあるのか。

「ここは乾いたただ 荒野
それでも前向いて歩こうや」

新しいことをはじめる、今いる場所を、立場を去る、怖い、また0からになってしまう。それでも前を向こう、という決意。

決意を手に入れた主人公は強い。
それまでとはまるで打って変わったように意志の強い表情に変貌し、歌声も力強くなっていく。

光の橋を渡る。決意を手に今までの場所から去る。
虹の柄の旗を手に虹の頂上で、歌う姿はとても美しく格好良かった。まるで、アイドルの卒業公演みたいだ。

cause i need u cause i love u
knock knock open the door
never give up, beautiful world
makin' a good thing better
「私はあなたが必要、あなたが大好き。
さあ、(新たなる)扉を開けて飛び立とう。
諦めないで、世界はこんなにも美しい。
よりよいものが作れるよ。」

あなたは私(主人公)自身で、私(主人公)はあなた。自らで自らを励まし、夢への想いを強固にし、誰にも言わずにその旅立ちを1人で決意する。


ただそれだけ、それだけなんだけど、そうやって感じたことによって、「女優」という夢に向かって、決意をした工藤遥はかっこいいのだなあ、と思って、卒業は悲しいことであるけど、「卒業」してまで決意や夢の為に走り出した彼女にとって誇らしいことでもある、と少しだけ前向きになれた気がする。
少しだけ、少しだけだ。まだ怖くて信じたくなくて、ネットニュースはわざわざ友達に内容を読んでもらって教えてもらったり、メンバーのブログやハロープロジェクトの情報収集用のTwitterアカウントを開けない自分がいる。
どぅー推しじゃないのにこんなに後ろ向きなのが申し訳ない、けれど、残りの半年、そして女優として羽ばたく彼女の「決意」を無駄にしないように、彼女を見守りたいと思う。

*1:ピンチケかよ?その頭上のボードと持ち込み不可のサイリウム折るぞ??

*2:アンリーではない